己を見つめ抜け出す

一昨年に始まったこの異常事態を少し振り返ってみましょう。

その直前まで、インバウンドという名のもとに観光業が大流行。京都や奈良の観光地にうっかり足を踏み入れられないと思っていました。他方海外に出かける日本人もうなぎ上りで、航空機はいつも満席でした。

つい3年前のことです。時代の変化がいかに早いかということがわかります。

ウイルス感染症、これまでのどれよりも重症で、致命率も高いタイプ!という前振りでしたので、医療機関はじめ交通機関や観光業は過度に緊張し、これまでになく萎縮。密集・近密・密閉を避けよと、しゅうきんぺいの三密という言葉が流行りました。

学校は軒並み登校禁止、インフルエンザ以上の対処がとられ、おかげでパソコンを使った遠隔授業が浸透、登校する必要も少なくなりました。

これまで慣行であった職場の会議や地域の集会、朝礼などの行事は全面廃止となり、在宅勤務に移行した会社が急増。おかげで超過密だった通勤電車は緩和され、道路の渋滞や駐車場待ちの事態もこの3年間ありません。

アルコール摂取は確実に減少し、飲酒運転は激減、アルコールによるトラブルも皆無になったと思われます。飲酒さえなければ朝は快適、一日は充実します。それくらい飲酒は健康に災いしていたのです。

暇さえあれば国内外に出かけ、観光地巡りをしていた人々も仕方なく家庭で過ごし、さらにキャンプや山歩きなどアウトドア・レジャーが盛んになりました。

確実に運動する時間が増え、メタボだった都会人も少しはスリムになったことでしょう。健康ブームに火がついたことは確かです。

にわか哲学者

過密であったスケジュールがこうして次々と空いてくると、考えることは皆同じ。これまで何とアクセクしていたのか、何を忙しそうにやっていたのか、業績や学業って本当に大事なのだろうか?本当にしなくてはならないことってなんなのだろうか。こんな「にわか哲学者」になって考える余裕ができたのです。

つまり令和2年以来、過当競争、受験地獄、学歴社会の悪癖がついに見直され、さらに都市過密や交通渋滞は緩和、ついで大量生産、大量消費、環境破壊も徐々に改善の余地が見られてきた、そんな未来になる、これは絵空事でしょうか。いや実際にこのような兆しがあるのです。

肩書きや資格だけを求めた大学は徐々に関心が薄れ、本人の資質や実力が職業選択の第一になり、転職や起業は当たり前、一流企業の社員に甘んじて一生を送るなんてことが、時代遅れでオシャレじゃない、いう感覚が確実に育っています。

こうした時、今後「どうしよう」というより何のために生きているのか、どう生きたいのか、そういうモチベーションが非常に大切になってくるのです。

順位・競争に加担してその人生を過ごしてきた人々にとって、その動機が無くなった後には何が残るのでしょう。

あるいは同僚や知人の間で恥ずかしくないよう、馬鹿にされないよう努力して生きてきたことが虚しく思われてきます。

そもそも何だ!

そんな時しばしば自問することが、自分の存在、ということです。己(おのれ)とは何か、何のために生きているのか、己は重要な存在なのか?

誰しも己の存在を過小評価し、やるせない思いをしたことでしょう。マスコミに登場するような著名、有名人と比較して時に自信を失う瞬間、これは誰にも共通のことです。

繋がっていると思っていた親族・友人に対しても、ただ汲々と良好な関係を保つことだけが目的だったのではないかと疑い始めます。こうした生き方に疲れを感じています。

今回のように色々な同調圧力に負け、個人の自由がないと感じた時、もう人の評価は気にしないぞ、そういう生き方に憧れもします。

己の始まりは、出産からではありません。自己認識はその後の教育で少しずつ出来上がったのです。

赤ん坊が名付けを受け、数々の言葉を叩き込まれ、基礎言語が根付いて初めて自己の存在が認知できたのです。

つまり自己は名の上に乗っかっており、名が始まりであったということです。それを一切使わない世界は考えられないのです。

己も世界も名の上に成り立っている形のないもの、「名」があって初めて感覚器も機能するのです。

知らないものは見えない

  お気づきの方も多いでしょうが、未知の物は聞こえもしないし、見えもしないのです。目あるから見えるのではなく、名の概念があるから、赤が見え、丸や四角が解るのです。さらにそれを認識するのも個人差があって、濃い色に見える人もいびつに見える人もあり、ましてや味覚などは家族でも大きく異なります。

過度に共感や共鳴を求めない

つまり他者と互いに完全に分かり得ることなど家族間であっても無い、それがわかるとやや楽になります。他者と共感・共鳴を求めすぎて挫折するよりも、そもそも個の世界にいる限り、個にこだわっている限り共通認識はほんの少ししかありません。ないのにあるふりをするのが、同調意識です。

一つだけ方法が

それは己というものの正体を知ることです。攻殻機動隊(Goast in the shell)や、アバター、マトリックスという映画やアニメがもてはやされていますが、視聴者は薄々感じておられるのでしょうね。何かにトラップされ、誘導されている己の姿を!

実際にはアニメのように上位に存在する電脳や悪意ある支配者などではなく、やむなく歴史が産んだ産物としての自己の存在(殻)があるのです。

 自己の殻から抜ける、そんな時代が着実に近づいています。そうなるとまず他者が気にならなくなります。誰かと比べることが虚しくなり、見えの知識を求めなくなり、直感で行動を起こします。未来を気にしないし、過去を悔やみません。予定に囚われず、今日を生きる心境になります。素晴らしい時代の到来です。

参考 「心感覚〜正しい絶望からはじまる究極の希望」 ノ・ジェス著 イースト・プレス

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