不安恐怖が治癒を妨げる 

当然のことながら自然治癒力は健康にとって欠かせないものです。そしてこれが正常に働かないから病になるとも言えます。自然治癒する力はどうしたら身につけることができるのでしょうか。

 

暴飲暴食

この体に備わった自然の回復力を妨げるものを考えてみましょう。当然考えられるのは、臓器への負担、酷使です。最も多いのが、暴飲暴食でしょう。消化器官を酷使し、消化液を大量に分泌し、肝臓や膵臓に負担をかける行為です。誰もがわかってはいても、一生を通じてやらかしてしまいます。誰にも経験があり、なかなかやめられないものです。定期的に断食、半断食、少食の習慣をつければいうことはありません。イスラム教徒は本来そういう習慣でした。流行りの胃腸風邪も日頃から消化管を酷使していると感染しやすいものです。暴飲暴食で粘膜が疲れていれば、容易にウイルスの侵入を招きます。

逆に食事が極端に少なくても自然治癒は働きませんから、中庸が一番ということでしょう。痩身のため過度な減食をするのも危険です。

 

運動のアンバランス

次に多いのが過剰な運動による運動器の障害です。スポーツ選手はもちろん学生や中高年でも休みを取らないで運動を継続し、関節や筋肉、腱を痛めています。運動は少しずつ毎日継続していくもの。急激に長時間行えば誰もが怪我をします。少しずつ運動を行えば徐々に血流が増加し、血管や筋肉や骨膜などが増強されていきます。そうすれば少々のケガもかなりのスピードで改善していきます。ほぼ毎日行うことが大事です。ですからケガをしても適度な運動を継続しながら治していくのが正しいやり方です。もちろん内臓疾患でも運動が治癒効果をもたらします。

これは体温という要素に関係します。日常から定期的な運動をしていればいわゆる平熱がわずかに上昇します。アイドリングを大きめにやっていると思ってください。エンジンがいつも温まっているという状態は、身体にとって最高の自然治癒力を発揮します。

 

不安恐怖

最後に自然治癒を邪魔しているものは、睡眠不足など頭の休憩の不足です。深い眠りのノンレム睡眠が2時間あれば十分と言われます。しかし気になることや心配事があると、そのノンレムも邪魔されます。ですから浅い眠りの連続で疲れがなかなか取れません。

いわゆるストレスというものも、自覚している場合と、慢性化して自覚すらできなくなる場合とがあります。後者のようにストレスを意識していない場合の方が多く、それは対処にも時間がかかります。

 

慢性化した心のストレスには、様々な形があります。もっとも多いのが漠然とした将来不安です。現代社会は全ての方が何らかの不安を抱えていると言っても過言ではないでしょう。非常に不安定な社会基盤の上に生活をしているからです。どの国も巨大な財政赤字を抱えていますし、いわゆる株式会社という組織も、株という名の借金をして成り立っているのです。そして銀行という名の金貸しが大手を振ってのさばっているという社会構造が出来上がっています。これは現代社会が選択した結果なのです。世界中がそうなっているのです。誰かが借金をしてくれないと経済が回らないようになっています。ですから不安があるという認識はいつまでたっても消えないのです。

こうした社会不安は、実は経済を盛んにする一つの方法なのです。大衆に言いようのない不安や恐れ、不安定感、欠乏感、不満足があればあるほど商業活動はやりやすいのです。

 

そしてその不安の根源には西洋の基本概念があります。何千年と戦争の絶えなかった欧州大陸で培われた文明は、競争と努力がなかったら生き残れませんでした。常に上位を目指す。生き残りをかけて不断の努力を惜しまない。こうした生き方を何千年と続けてきてようやく勝ち残った方々が、現在の欧州を築いてきました。そして頂点に達したものだけが全てを支配するという弱肉強食、モノポリー、優勝劣敗の思想が強く生きています。

かつてある高等学校で健康講座をさせていただく機会がありました。講座の最後に記憶してほしい言葉として黒板に大きく「脱競争、脱努力」と書きました。これには教職員の方々も賛否両論だったようです。高校生は人生で一番努力しなくてはいけない時期と誰もが捉えています。そういう社会通念がまだまだ残っているということです。西洋から渡来した概念は日本に根付いてしまいました。

 

参考にあげた二冊をぜひご一読ください。こうした過酷な社会通念がいかに間違っていたか、はっきりと見せられます。本来何ら努力も競争も必要のない素晴らしい要素がこの地上では整えられているのです。資源も食も十分にあり、また次々に起きる自然現象も、すべて良い方向になるためのものなのです。太古からの地球の歴史を見れば、いかに生命を育むのに好条件が整っているかがわかります。まさに奇跡です。

幼少期から強制的に植え付けられた生きていくための競争、努力。その結果徐々に自己嫌悪が生まれ、努力しなかった過去を悔やみ、劣等感を持ち、他人を羨み、妬むといいう図式です。これらはすべて過酷な過去の遺産です。かなぐり捨てなければなりません。自己の存在に自信を持つことです。未来を憂えない、未来を予測しないことです。また過去も無視しましょう。すべて必要な過去だったのです。するととてつもない自然治癒力が湧いてきます。

 

脱努力が始まった

人の進化の過程において通らなければならなかった部分でしょうが、これからは違います。かつての日本のように、餅は餅屋という各自がそれに相応しい役割を担って、競争ではなくそれを見つけていく時代です。勤労を喜び、互助が当たり前になる共生の社会は始まっています。

 

 

参考(1) 喜びから人生を生きる! 〜臨死体験が教えてくれたこと〜

アニータ・ムアジャーニ著 奥野節子訳

ナチュラルスピリット発行

 

 

参考(2) もしここが天国だったら? 〜あなたを制限する信念から自由になり、本当の自分を生きる〜

アニータ・ムアジャーニ著 奥野節子訳

ナチュラルスピリット発行

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